続々登場薬剤師 求人
医療側と議論をしたわけではないそうです。
知人にとっては、医療ミスとしてしまうほうが納得しやすかった。
ですから編集者にそう言い、彼もまたそれを簡単に受け入れる。
そうした伝わり方をしていくのです。
歴史的にみると、つい最近まで日本人は日常的に死に直面していました。
司馬遼太郎氏の明治維新を扱った小説群は、国民小説といってもいいほど読まれていますが、惜しむらくは、死に急いだ若者たちの死生観が見えてこない。
明るく朗らかで閥連な、現代の好青年のようにも見えます。
しかし、実際には、彼らの死生観はまったく違っていたと思うのです。
森鴎外に史伝『渋江抽斎』という作品があります。
あまり読まれない本ですが、鴎外の作品の中では高い評価を受けています。
私は、そもそも鴎外はあまり好きではなかったのですが、この本を読んで鴎外を見直しました。
江戸末期の知識人の生活をできるだけ忠実に再現しようとしたもので、鴎外自身は小説とは考えていませんでした。
ここで措かれる生活の端々に、抽嘉のものの見方、考え方が現実感を持って示されます。
抽斎は、坂本龍馬より三十一歳年長の同時代人で、医師であり、儒学者でもありました。
生涯に四人の妻を迎えました。
最初の妻とは六年で離縁、二番目の妻は長女を出産後二ケ月で死亡、三番目の妻は結婚後十三年目に病死しています。
抽斎は、安政五年、五十四歳でコレラと思われる病気のために亡くなったということです。
この年、コレラの大流行で、江戸では二万八千の人命が奪われました。
話が少しずれますが、現代の日本の衛生環境でコレラが大流行することは考えにくいことです。
そもそも現代の日本人はコレラにかかっても、死ぬことはめったにないと思います。
栄養が行き届いており、余力があるからです。
十数年前、バングラデシュで講演をしたことがあります。
会議の最中に停電になりました。
しばらくして、発電機に切り替えられて、会議が続けられましたが、こんどは発電機が故障して、スライドがまったく使用できなくなった。
このときに思ったのですが、電気の供給に不安があると、冷蔵庫の温度を〓疋に保つことができず、輸血のシステムを構築することはできません。
バングラデシュでは、手術そのものが、きわめて危険であることを実感しました。
さらに聞くと、当時、バングラデシュで男性の平均血色素量が九グラム/デシリットルとのことでした。
日本人の男性は十五から十六グラム/デシリットルですので、ひどい貧血といってよいと思います。
通常、手術の前後には、血色素量として最低でも十グラム/デシリットルを維持しようとします。
慢性的な栄養不足があると、ちょっとした病気で人はすぐに死にます。
バングラデシュには、医療援助より、経済援助がはるかに重要だということなのです。
話をもどします。
抽斎は四人の妻との間に七男七女をもうけましたが、抽斎が死亡したときに生存していたのはわずか六人。
それでも抽斎は後世に子どもを残すことに成功しました。
私は大阪の下級武士の家系の十四代目に当たります。
しかし、家系図をみると、子どもにめぐまれず、あるいは、やっと生まれた子どもが死亡して、養子を迎えている記載が何ヶ所もあります。
実は、私の父母は共に、香川県の農家の生まれで、武家とは何の関係もありません。
『渋江抽斎』には身内の葬式の場面が頻繁にでてきます。
多くの子どもが生まれ、その多くが成人することなく死亡しました。
死と隣り合わせの日常で、幕末の革命家は何もしないうちに死んでしまうことを恐れたに違いありません。
現代では、日本人が死を眼前にすることはめったになくなりました。
家庭で死を看取ることが少なくなっています。
死にゆく家族の世話を病院に委ねてしまうのが普通になりました。
しかも、日本人の少なからざる部分が、生命は何より尊いものであり、死や障害はあってはならないことだと信じています。
一見、筋が通っているようですが、そのために死や障害が不可避なものであっても、自分で引き受けられず、誰かのせいにしたがる。
私は、あえてそれを「甘え」と呼びます。
しかし、メディアや司法はそれを正当なものとみなし、ときに十分な責任を果たしている医師を攻撃するのです。
不老不死という幻想がんは「早期発見、早期治療」が肝心といいますが、常にそうであるとはかぎりません。
たとえば高齢男性の多くが、無症状のままの前立腺がんを有しています。
躍起になって検査を繰り返し、小さながんまで「早期発見」し、徹底的に「早期治療」を行うと、かえって体を傷め、消耗させてしまうことにもなるのです。
どんなに不老不死を願っても、人間が生き物である以上、一定の年齢になれば生命は維持できない。
どんなに優秀な医師でも、人間本来の寿命を延ばすことはできません。
かつて秦の始皇帝は、不老不死の薬を求めて世界中に探索隊を派遣しました。
「早期発見、早期治療」にはそうした不老不死の幻想が含まれているような気がします。
『死生観・死の準備教育』を提唱する、イエズス会司祭のアルフォンス・デーケン上智大学名誉教授は、全国各地で行われた講演の冒頭、いつもこう仰っていました。
「医師はみなヤプ医師である。
なぜなら、いくら医師が努力しても必ず失敗して、人間はいずれ死ぬから」人間は必ず死ぬ。
これはいかに医療が進歩した今でも、抽斎の時代と変わりません。
生老病死が人生において不可避のものであることを、常に意識すべきです。
死は欲望を空しくし、個人のいさかいに終止符を打ちます。
死に対する覚悟は、人を成熟させます。
しっかりした宗教は、人間を死と直面させる。
まともな文明は、死を見えない彼方に追いやりはしません。
キリスト教は「死を想え」といいます。
中世、ペストが大流行したヨーロッパでは、短期間に地域の三分の一もの人が死亡するような状況があった。
不可避の死を常に意識し、だからこそより良く生きることが求められたのです。
日本にも昔から「無常観」という、長い歳月のなかで磨かれた死生観があります。
多くの人が生まれ、それぞれの生を営み、あるものは子をなし、死んで行く。
家族の誰かが死ねば悲しい、それは当然です。
しかし家族の死の悲しみは、歴史的に無数に繰り返されてきたことです。
悲しみは死があってこそであり、死がなければ、人は死を望むに違いありません。
社会は人の死を前提に成立しています。
人類の歴史は、無数の人間の死の上に積み重ねられてきた。
未来への希望は変化を意味しており、それは死なしにはありえない。
まったく人が死ななかったら社会はどうなるか、想像してみればお分かりいただけると思います。
不確実性を許容できるか医療とは本来、不確実なものです。
しかし、この点について、患者と医師の認識には大きなずれがあります。
患者はこう考えます。
現代医学は万能で、あらゆる病気はたちどころに発見され、適切な治療を受ければ、まず死ぬことはない。
医療にリスクを伴ってはならず、一〇〇パーセント安全が保障されなければならない。
善い医師による正しい治療では有害なことは起こり得ず、もし起こったなら、その医師は非難されるべき悪い医師である。
医師や看護師はたとえ苛酷な労働条件のもとでも、過ちがあってはならない。
医療過誤は、人員配置やシステムの問題ではなく、あくまで善悪の問題である。
しかし、医師の考え方は違います。
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